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【書評】ドライブ・マイ・カー/村上春樹

どうも。メガネです。

村上春樹氏の短編「女のいない男たち」に収録されている「ドライブ・マイ・カー」について今日は書いていきます。なぜあえて短編なのかと申し上げますと

  • 単純に書きやすい(説明が少なくても済む)
  • 私自身が村上春樹の短編がとても好き
  • もし興味をこのブログを見て読んでみたいと思った時に敷居が低い

以上のような理由が挙げられます。

それではつらつらと感想を書いていきます。 

女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)

女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)

 

 あらすじ

俳優の家福は仕事場までの送迎を目的とした車の運転手としてみさきという無愛想で容姿に優れないが、高い運転技術をもつ女の子を雇うことになる。そしてみさきを雇ってからというもの数年前に子宮癌で亡くなった妻のことを頻繁に思い出すようになる。亡き妻は家福の知る限り、夫以外の4人の男と関係を持っていた。しかし家福は妻の最期までその理由を聞くことができなかったことが心に残っている。ある雨の日、いつものように送迎の車に乗る家福に、珍しくみさきが質問を投げかけ、家福は妻と自分、妻の浮気相手についてポツリポツリと語り始める。

感想

最近、久しぶりに再読した。

余談だがこの話の収録してある「女のいない男たち」を買った時のことを鮮明に記憶している。その日、取引先との会食を控えた上司の指示で自由が丘にある「黒船」という和菓子屋に取引先へのお土産を買いに行った。その帰りに駅前にある町の書店で文庫本を購入し、その横にある喫茶店でアイスカフェラテを飲みながらこのドライブ・マイ・カーを読んだ。なぜこんなにも鮮明に記憶に残っているのか不思議だが、兎にも角にもその時ぶりの再読となる。(おそらく二年と少し前)

 

主人公の家福は俳優としてそれなりに成功し、年相応の落ち着きと寛容さを持っている一方で、亡き妻に今でも想いを馳せるような孤独な男だ。いかにも後期の村上作品の主人公らしい。一方みさきはコミュニケーション能力不足のフリーターではあるが、高い運転技術と無口な性格で家福から高い信頼を得ている。このストーリーであるならば相手はみさきでなくてはならないだろうと思う。村上作品の大原則に「おしゃべりな奴は信頼できない」があると僕は思っていて、孤独で個人主義の家福が身の上話を語り出すにはこのような無口だが信頼できる聞き手が必要なのだ。

 

決して妻以外を乗せることのなかった愛車に初めて妻以外の女性を乗せ、妻が座っていた助手席に腰掛けることで、亡き妻のことを思う家福。妻の浮気とその理由を聞けなかった後悔に今もチクチクと苛まれ、傷ついている。

どうして彼女が他の男たちと寝なくてはならないのか、家福にはよく理解できなかった。そして今でも理解できていない。

(中略)

自分たちは精神的にも性的にも相性が良いと、彼は思っていた。周りの人々も彼らを仲の良い理想的なカップルとして見ていた。

それなのになぜ他の男たちと寝たりしたのか、その理由を妻が生きているうちに思い切って聞いておけばよかった。彼はよくそう考える。実際にその質問をもう少しで口にしかけたこともあった。君はいったい彼らに何を求めていたんだ?僕にいったい何が足りなかったんだ?彼女が亡くなる数ヶ月前のことだ。しかし激しい苦痛に苛まれながら死と闘っている妻に向かって、そんなことはやはり口にできなかった。そして彼女は何ひとつ説明しないまま家福の住む世界から消えていった。

妻が他の男の腕に抱かれている様子を想像するのは、家福にとってもちろんつらいことだった。つらくないわけがない。目を閉じるとあれこれと具体的なイメージが頭に浮かんでは消えた。そんなことを想像したくはなかったが、想像しないわけにはいかなかった。想像は鋭利な刃物のように、時間をかけて容赦なく彼を切り刻んだ。何も知らないでいられたらどんなによかっただろうと思うこともあった。

ここまで割り切れる家福みたいな男性は少ないかと思うけれど、浮気されたことのある男性なら少なからず感じる部分はある箇所。なぜ愛する人は他の男たちと寝たのか。もしかしたら説明できる理由なんてないのかもしれない。けれど理由を考えずにはいられないし、想像したくもない情事を想像せずにはいられない。想像しないようにすればするほど生々しいリアルなイメージが脳裏に浮かんで離れなくなる。家福は妻を深く愛していたからこそ傷つき、俳優という職業ゆえ妻の前で気づいていない演技をし続けた。

妻がそのような行動をするようになったのにはきっかけがあったことも触れられる。みさきを正式に雇い入れるために彼女の住民票等が必要になり、そこでみさきが二十四歳であることがわかる。二十四歳という年齢は家福にとってはなにか感じずにはいられない年齢であるのだ。

家福には三日だけ生きた子供がいた。 女の子だったが、三日目の夜中に病院の新生児室で死んだ。前触れもなく突然、心臓が動きを止めてしまったのだ。

(中略)

その子が生きていればちょうど二十四歳になる。その名前のない子の誕生日に、家福はいつも一人で手を合わせた。そして生きていればなっていたはずの年齢を思った。

(中略)

「悪いけどもう子供は作りたくないの」と彼女は言って、彼もそれに同意した。わかった、もう子供は作らないようにしよう。君がいいと思うようにすればいい。

 思い起こしてみれば、妻がほかの男と性的関係を持つようになったのは、そのあとからだった。あるいは子供を失ったことが、彼女の中にそういう欲求を目覚めさせたのかもしれない。しかしそれはあくまで彼の憶測に過ぎない。かもしれないというだけのことだ。

そして家福は妻の亡き後、妻と寝ていた男に接近し、友人として振る舞うことになる。相手は二枚目と呼ばれる爽やかな中年俳優で、素直で感じのいい男だった。二人はごく普通の友人同士として酒を飲んだ。それはきっと家福について細やかな復讐だったのかもしれない。昔の村上作品の主人公であればこのような行動に出なかっただろうなと根拠もなく思う。昔の村上作品の主人公であれば「彼と言葉を交わしたところで、妻が帰ってくるわけではないのだ。一度口に入ったオリーブがもう元通りにならないみたいに。」なんて言いそうである。

本作は実に現在の村上らしい作品だなぁと僕は思う。他者との繋がりを断ち切れず、それでいて個人主義を標榜するしんみりとする孤独さ。そういった熟成された哀愁がある。

文庫本のページでせいぜい50ページの本作。

秋の夜長にウィスキーも飲みながら読んで見ませんか?(飲めない方は熱いカプチーノで)