Anarchy WORKSHOP

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【映画レビュー】セッション

どうもメガネです。

今日は映画セッションのレビューを書いていきます。

 

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総評:8.5/10

まず前提として断っておくと、この映画はサクセスストーリーでも感動長編でもありません。音楽という形なき芸術に囚われた人間たちの狂気と傲慢さの詰まった映画です。それでもこの映画は素晴らしい。人に勧めたくなる映画です。そんなセッションの見所について解説していきます。

あらすじ

アンドリュー・ニーマンは19歳のジャズ・ドラマーである。若くして才能に恵まれるニーマンは、バディ・リッチのような「偉大な」ドラマーになることに憧れ、アメリカで最高の音楽学校、シェイファー音楽学校へと進学していた。壮大ながらも獏とした夢を抱えながら、日々孤独に練習に打ち込んでいる。そんなある日、シェイファー音楽学校の中でも最高の指揮者として名高いテレンス・フレッチャーが彼の学ぶ初等教室へやってくる。ニーマンの卓越した演奏はフレッチャーの目を引き、彼はシェイファーの最高峰であるフレッチャーのスタジオ・バンドに招かれる事になった。

- wikipedia - より引用

見所の前に前提としての私の捉え方

この映画を評する前に、レビュー内容に僕自身の思想や考え方が影響してしまような気がするのでこの項目で少し書いていこうと思います。

まずこの映画を見る際に「音楽=芸術≒自己表現」であるという点を理解してほしいと思います。芸術を図る基準とはなんだろうか?芸術を評価するのはいつだって人間であって、その人間は毎秒感情に起伏を有し、時代ごとに価値観は変遷する。そんな曖昧な人間に評価される「芸術」という存在はいつ、誰が、どのような方法で評価するのが正しいのだろうか。と深く考えました。結局のところは自己表現と呼ばれる芸術が他者の手によってその価値を決定されてしまう危うさと、その形なき芸術に身を投じ、ドラム奏者として、音楽家として出世したい主人公ニーマン。ニーマンの評価されたいという感情が、結果として自身の拠り所である音楽を否定している矛盾。芸術=自己表現であるならばこの映画は生まれません。なぜなら芸術が自身の手によって完成されるものであれば、ニーマンが感じる苦悩もフレッチャーの狂気も説明できないからです。

そしてだからこそラスト9分のニーマンの演奏シーンが観客の胸の打ちます。それはニーマンが初めて自己表現を芸術として昇華できた瞬間であり、その自己表現をフレッチャーと共有した瞬間でもあるからです。

見所

フレッチャーの狂気的な指導

J•K •シモンズ扮するフレッチャー狂気的な指導。生徒たちへの要求レベル、浴びせられる罵詈雑言、とにかく演技が凄まじい。僅かなテンポ、音程のズレ、そんな下らない(音楽業界の方ごめんなさい)ことで怒鳴り、椅子を投げ、人格否定するフレッチャー。映画を身始めた時は「あ〜この怖い先生が、スパルタしながらも最後は主人公の成長を喜ぶ話なのね〜」なんて思っていましたが大間違いでした。フレッチャーは良くも悪くも最後まで悪人(?)です。しかしフレッチャーはストレス発散で生徒たちを攻撃しているのではありません。自身の満足できる水準でないことに苛立ち罵声を発しているのです。冒頭で書いた芸術が持つ不完全さとその不完全から生まれる魅力に囚われた狂気。ある意味、彼の存在こそが正解のない芸術という世界そのものを体現しているのかもしれません。

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決して被害者ではない。傲慢な秀才ニーマン

主人公のニーマンは非常に高いテクニックと才能をもつ若きジャズドラマーです。彼は終始フレッチャーに攻撃されますが、観客で彼を心から応援した方がどれだけいたでしょうか?彼は確かに認められるために努力し、文字通り血の滲む練習で主奏者の座を勝ち取りますが、それ以外の行動は褒められたものではありません。自身の練習時間を確保したいがために恋人に一方的に別れを切り出したり(しかも後に自分勝手に復縁しようとします)、大学でアメフトをやっている親戚を自身のやっている音楽と比較して小馬鹿にしています。音楽は高尚で、凡人には理解できないと勝手に思ってます。そんなニーマンのエゴイズムと音楽に対する直向きさと卑屈さが彼も狂気の渦へと巻き込んでいくわけですが、そんなフラストレーションがラスト9分のカタルシスへと繋がるのです。

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最高の形で達成されたフレッチャーの復讐

このパートはある意味、起承転結でいうところの「転」に該当する部分です。大学を追われたニーマンと、ニーマンの告発で解雇されたフレッチャー。そんな彼らが再会し、スカウトマンが多く集まる音楽祭で指揮をとる予定のフレッチャーからドラムの勧誘を受けるニーマン。この誘い自体がニーマンの復讐のはじまりであるわけなのですが、ニーマンを素直に喜び、ドラムへの情熱を取り戻します。

音楽の道を諦めたニーマンはマズローの欲求5段階でいうところの社会的要求すら満足に満たされていない状態です。そこで「バンドに加わってほしい」「実はお前を認めていた」というフレッチャーの言葉に「社会的欲求」と「承認欲求」が一度に満たされてしまいます。

嬉々として会場に向かうニーマンでしたが演奏の直前にフレッチャーが言います。

「私をナメるなよ。密告したのはお前だろ」

そして演奏が始まりますが、ニーマンに渡されていた楽譜とは全く違う曲が始まり、なんとか周りと調和を取ろうと演奏するニーマンでしたが、結果メチャメチャに。「お前は無能だ」と告げるフレッチャー。多くのスカウトマンたちが集まる音楽祭で彼を晒し者にすることが彼の目的であり復讐でした。その場から逃げるように去るニーマン。

この部分では胃をグッと掴まれているような感覚になりました。本当に演出がうまい。

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そしてラスト9分。覚醒するニーマンと、彼の演奏に魅了されるフレッチャー

一度は去ったものの、定位置に戻るニーマン。フレッチャーの司会と無関係に始まるドラム。ニーマン先行ではじまる「キャラバン」。そこにはただ自己を表現するためにだけにドラムを叩くニーマンの姿があります。はじめこそ怒り狂うフレッチャーでしたが徐々に彼の演奏に魅了され、笑みを零します。そして曲のラスト、彼らは初めて偽りのない笑顔でお互いを見つめこの映画は終わります。ラスト9分は本当に息が詰まりそうになります。

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万人受けする映画ではないなぁという印象ですが、演出の素晴らしい映画でした。

 

セッション(字幕版)
 
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